生きた証を残す

 大自然は、神の能力を物質化したものだと、私はそう思います。そうであるに違いないと思うほど、絶妙なシステムで機能しています。土は肥料の塊であり、始めから完全であったのに、人間はそれ以下のものと見なして肥料を投入することにより、土を汚しバランスを壊してきました。

 植物は光合成によって作ったエネルギーの多くを、自分自身の根から出す分泌物を作るのに使います。この分泌物は土の中の微生物達のエサです。こうして、自らの根の周りに微生物を招き寄せ、エサを与える代わりに必要な栄養素を運ばせているのです。たった1gの土の中に、60億ともいわれる膨大な数と種類の微生物が存在しますが、その99%以上はいまだにその働きが解明されていないのです。植物は、自分の意思をもって自身の成長に最適な環境を、微生物との共生によって作り上げていきます。なんと土のpH(ペ-ハ-)さえも植物自身がコントロールしているのです。根の周りだけでなく、地上の葉の表面からも分泌物を出して、微生物のバリアによって病害虫から身を守っています。植物はやがて花を咲かせ、種をつけます。自然農法によって自家採種された種は、その表面に菌類の胞子を付着させたまま、次の出番まで保存されるのです。翌年播かれた種が、発芽するのと同時に、菌類の胞子は殻を破り、速やかに植物との以前の共生関係を再開するのです。そう、お互いの記憶の中で、昨年の続きをまた始めるのです。

 こんなに周到に用意された大自然の仕組みを、ほんのちょっと利用するだけで豊かに生きていけるのに、どうして人間だけは共生できずに奪い合おうとするのでしょうか。

 以前、ラジオでこんな話を聞きました。「日本人とアメリカ人が、1週間にたった2~3日肉を食べるのを止めるだけで、世界中の飢餓が無くなる。」と。我々日本人が肉を食べ過ぎることで、世界中のどこかで飢え死にしている人がいるという事実。そこまでして、自分の食欲を満たさなければならないのでしょうか。人の命を奪ってまでも、食べたいものを食べ、世界のバランスを壊している人間を、他の生物達は一体どんな気持ちで見ているのでしょうか。

 自然農法では、農薬は使いません。肥料も要りません。種は自分で採ります。そこに、美しい土と種さえあれば始められるのです。食べ物を奪い合わなくても、遠い海外から運ばなくても、自分の足元の土に種を播いてお世話をする、それだけで豊かな恵みを得られます。すでに目の前にあるものをわざわざ捨てて、それ以下のものを遠い場所まで探しに行く。そんな事をしなくても、心を開いてよく見れば、自分の周りに全てが用意されているのです。

 自分の土を持ちましょう。自分の種を採りましょう。土や種には、その人の想いが入り、それは記憶として残ります。土に種を播き、また種を採るという行為は、生きた証を残すことでもあるのです。

橋本 進

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