必要性という幻想

 私の農場では、連作を行っている畑がいくつかあります。連作の畑では1年に1作しか作りません。岡田茂吉氏は、連作を続けることによって、土にはその作物に合った精分が出てくるようになると説いています。つまり、土もその作物作りが上手になるという事でしょう。私も長年農業をしていると少しは作物を作る事が上手になりました。土も人間も成熟して、マスターになっていくのです。また、そこで採れた種をそこに播き、種もお馴染みさんになっていきます。そうやって土、種、人間が調和されていく時、純粋で美味しい作物を創造できるようになります。

 連作をしている作物のひとつにかぼちゃがあります。かぼちゃの植え付けは、大体5月の中旬あたりで行います。そして7月の中旬から下旬にかけて収穫時期をむかえます。収穫が終わると、今度は畑をそのまま放置して出来るだけ草を生やします。わざわざ草を栽培するといってもいいでしょう。夏の暑さと大量の雨で、背丈以上に伸びた草を秋に刈り倒し、土の上で腐植させます。そのまま耕さず年を越し、春温かくなってきたときにタイミングを見計らってトラクターで耕します。私の土づくりはたったこれだけ!肥料も与えず、外から堆肥などを持ち込むこともありません。連作の畑の場合、トラクターでの耕耘は年間2回程度で済みますので、土へのダメージは最小限に抑えることが出来ます。たった2回の耕耘で、また次のかぼちゃを植え付けます。毎年このパターンをただただ繰り返すのですが、私のかぼちゃ畑の土は増々良くなって、収量も増えています。初期の除草に多少労力をかけますが、たったこれだけの努力で、こんなにも恵みを頂いていいのかと不思議に思うくらいです。

 大自然は努力をしません。私はこのことを知ってから、あまり努力をし過ぎないように心掛けています。「最小限の努力で最大の結果を生み出す。」それが自然農法の目指す場所で、それこそが大自然の純粋なメッセージです。

 自然農法が伝える最大のメッセージのひとつが、「何も必要ではない」という事です。人間は、幸せになるためには何かが必要だと考えがちです。幸せになるためには、努力し、闘って、何かを得て、どこかへ向かって行かなければならないと思っています。でもこれは幻想で、幸せになるために必要なものは何もなく、もうすでに生まれた瞬間から幸せだと気付くだけでいいのです。受け入れて、理解するだけで満たされます。自然農法はそれを教えてくれました。肥料も農薬も必要なく、外からせっせと堆肥を運び込む必要もなく、種もその畑で採ればいい。生きていく糧を得るために、はじめから何も必要ではなかったのです。

ただ喜びの中で楽しく暮らして、大自然の恵みを貰えばいい。そして分け合えば・・・。

 人類はどうしてこんな簡単な事を難しくしてしまったのでしょうか?私達はもうすでに幸福にたどり着いています。というより、はじめからそこにいて、本当は一度も離れたことはなかったのです。大自然をよくよく観察すれば、それが本当のことだと分かるでしょう。私はそのことを知ってから生きることが随分楽になりました。何かにぶつかった時には、「何も必要ではない」とつぶやくようにしています。

橋本 進

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